このタイトルを見て、ピンときた方は・・・正解です^^
ある男とは、そうです「島田 紳助」さんです。
紳助さんのことについては、約一年前のこのブログが始まってすぐに書きました⇒ラブレター
そして、このブログが終わる直前にまた紳助さんのことを書くことになり、紳助さんは芸能界を引退し、僕はこのブログを終える・・・(僕は勝手に縁を感じています^^笑//
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僕は基本的にネガティブ方面に興味がありません、しかし・・・僕自身ポジティブかというとそうではありません。(←最後まで訳の分からないことを書いていますね^^;)
では僕はどんな人なのか^^?
ひと言でいうと、【ネガティブな中に、たった一つのボジティブを探したい人】なのです。
↑
(これについて書き出すと、とても今日中に書き終わりません^^)
さてさて、皆さんは紳助さんの人生の選択をどう感じられましたか?
僕はちょっと偏った見方をしようと思います。
まず、ネガティブな方面(悪いことをしたという事)はあるのでしょうが、その中でも彼が残したもの、継承したかったこと、伝えたかったメッセージにフォーカスしたいと思います。
何故か?
僕は多くの人に問いかけたい事がここに一つあります。
『彼が犯した過ちがあることで、彼が残した功績や実績まで否定されるべきでしょうか?』
ということです!
どう思われますか?
今日の報道で、報道番組の司会者が会見を見て、「まるでトークショウだ」といいました。
また、あるコメンテーターは、二週間もすれば彼の番組の穴は埋まるし、すぐに過去の人になるだろうとコメントしました。
たしかに、会見は饒舌に見えました、でも同時に彼は自分の人生をも語っていました。
番組の穴はその通りにすぐ埋まるでしょう、それが芸能界というのならそれもそうなのでしょう。
でも・・・だからといって彼の残したもの(実績や功績)まで否定していいのでしょうか?
僕の答えは『NO』です。
よく物事に白黒つける!という言われ方をすることがありますが、僕は「100%黒」も「100%白」も存在しないという考え方をします。
真っ黒に見えるものでも、必ず数パーセントは必ず白い部分があり・・・
一見、白に見えても、100%の真っ白は存在しないと思うのです。
話がかなり飛躍してしまいました^^;
そんなこんなで^^僕は紳助さんの残したものはとても大きいと思います。
芸能界でも稀有な存在でした。
最後に彼が示した引き際は「英断」だと思います。
これから新たな真実もでてくるかもしれません、そしてあの会見を「トークショウ」と言い放った司会者のように、不幸に群がる人々にいろいろな言われ方をするでしょう。
僕はそれでも、彼が残した功績は真実だと言いたいと思います。
お疲れ様でした。
昨日もなかよし弁当にご来店いただきまして、ありがとうございました。
感謝しています。
過去のブログは・・・こちら
『引き際』ほど難しいことはありません、『引き際』には必ずその人の生き様が出ます。
言い換えれば、『引き際』とはその人の「美学」に通じることなのかもしれませんね。
誰かを送り出す時(送別会など)や自分が引く時(送り出される時)を思い返すと、そこにはその人の全てが映し出されているように思うのです。
さて、身近な問題として^^このブログの引き際はどうなるのでしょう?
明日のタイトルは『絶対』
明後日は『幸せの定義』
28日は『五人のメンター』
30日は『思うこと』
31日は『墓石に刻まれた言葉』
号外『終わりの始まり』
たぶんこんな流れです^^
よろしくお願いしま~す^^//
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