昨日のブログの『ありがとうの花』の元になっているメルマガ「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」から、今朝も8時に届いたメールから抜粋します。
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初めてメールさせていただきます。ちかこと申します。
かっこちゃん、星野さん、いつもメルマガ楽しみに読ませていただいています。あり
がとうございます。宮ぷーが学校へ行けたことに関して信司さんが「勇気が必要だっ
たと思う」と書いていらしたことについて私の経験をお伝えしたくてメールいたしま
した。
私たちの息子・亮太朗は一年半ほど前、小学校一年生でこの世から旅立ちました。脳
幹神経膠腫という脳腫瘍の一種でした。発症から約一年で死に至るケースがほとんど
の治療方法がないに等しい難治性の脳腫瘍です。脳幹に腫瘍ができるので宮ぷーの症
状とよく似ているなぁといつも思います。亮太朗の場合、病気がわかったのが幼稚園
年長の12月、陽子線治療後すぐに左半身の麻痺が出たので(当時、異例の早さの再発
だと言われました)小学校入学の時には歩くのもやっと、言葉も聞き取りにくい状態
だったので、私が教室の隅に付き添う形での学校生活を送りました。
毎日麻痺のある子を連れて学校に行っていると、奇妙なものを見るかのような視線を
向けられたり、一年生だとストレートに「なんか変だよ、この子」と言う子もいまし
た。そんな毎日(といっても7月上旬までしか行けなかったのですが)でちょっと精
神的に疲れた時、主人に「みんなの好奇な視線がつらくて…」ともらしました。する
と主人は「神の子を連れていると思えばいいんだよ」と言いました。
病気になる前からとてもおおらかでみんなから愛されるキャラクターでしたが、病気
になってからは特に悟ったような、とにかくあるがままの自分を常に受け入れている
子でした。麻痺のことなんて少しも気にせず、どんどん前へ出て発表したり、舞台に
上がって片手でコンサートに出たり、運動会の玉入れも綱引きも力の限りやっていま
した。その姿は本当にかっこよくて、確かにキラキラ輝くまさに「神の子」でした。
主人の言葉に納得できてからは私も堂々と連れて歩けるようになりました。「できな
いこと」にではなくいつも「できること」にフォーカスしているという点で宮ぷーと
とてもよく似ていて、いまできる精一杯をやっているから、きっと宮ぷーも亮太朗も
恥ずかしくなんかなかったんだと思います。そして亮太朗も私たちにたくさんの「あ
りがとう」を残していってくれたと思っています。最後の方は喋ることができなく
なっていって、手製の文字盤を使ったり、それも無理になってからは眼球だけで会話
していました。そんな亮太朗が「ありがとう」を直接言ったりしたわけではないけれ
ど、私たちの心の中にたくさんの「ありがとう」を伝えてくれていたように思いま
す。
だから最期の時、私たち家族がみんな口にした言葉は「ありがとう。また逢おう
ね!」でした。たくさんのありがとうを教えてくれた亮太朗のこと、亮太朗が繋いで
くれたご縁を綴っている私のブログのタイトルは「Chikatamaのブログ〜ありがとう
の日々〜」。やはり「ありがとう」ってすごく素敵で大きな力のある言葉だと思いま
す。「ありがとうの花」がたくさんたくさん咲くように、私も生きていきたいなぁっ
て思います。新しい本、楽しみにしています。かっこちゃんや宮ぷー、メルマガを通
して繋がっている皆さんとのご縁に心から「ありがとう!」
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良いことも悪いことも、その起こった出来事に対してどこにフォーカスするかで人生は変わります。
「できること」にフォーカスするのか、「できないこと」にフォーカスするのか。
「あるもの」を見るのか、「ないもの」を見るのか。
「幸」を感じるか、「不幸」を感じるか。
どちらにフォーカスするかは決められていません。
選ぶことができるのですね^^
決めるのは、あなた。
僕の幸か不幸かの話は・・・こちら
昨日もなかよし弁当をご利用頂きまして、ありがとうございました。
感謝しています。
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≪のっくんセラピー≫
「ないもの以外、全てある」
僕の座右の銘です。
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