『執着』という言葉がありますが・・・
あまり良い言葉として使われることは少ないと思います。
なんて言うか、ひとつの事に固執しているとか、囚(とら)われているイメージがあるからで
しょうか?
たしかに何かひとつの物事に「執着」するというのは、人の可能性を制限したりしてもった
いないという考え方もありますが、もう一方で何かを成し遂げている人達はたくさんの
選択肢の中からひとつを「選択」し、その事に「集中」して、その集中のもっと先の『執
着』というレベルまで突き詰めている人ではないのかな~と思います。
(*もちろん『執着』という言葉の解釈は人それぞれ違うと思いますが・・・)
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数日前に読んだ朝日新聞スポーツ欄の松坂 大輔投手の記事に目がいきました。
大リーグ・レッドソックスの松坂 大輔投手が右ひじの手術を受けることになりました。
「野球人生最大のピンチ」と言われています。
がしかし、松坂投手はこうコメントしています。
「こういう試練を与えてくれた野球の神様に感謝できるようになれたらいい」
この境地に達するには、ただ集中して一生懸命やるだけでは到達できないレベルじゃ
ないか?と思いました。
どんな逆境にも感謝できる心境とは、『執着』というレベルかもしれません・・・
僕には到底分かりえない境地だと思うので、推測でしかありませんが^^;
僕の中での『執着』(ポジティブ側)とは、絶対的な信頼です。
その物事(野球)への絶対的な信頼と、その道を選んだ自分への信頼。
そんなふうに思いました。
*もちろん『執着』の(ネガティブ側)は、「囚われ」や「怖れ」だと思っています。
昨日もなかよし弁当をご利用いただきまして、ありがとうございました。
感謝しています。
過去のブログは・・・こちら
この松坂投手の右ひじの手術と同じ手術を1995年に受けた人がいました。
元読売ジャイアンツの桑田 真澄投手です。
松坂投手と同じ手術前に桑田投手はこう言っています。
「僕らは生かされているんです。意味のないことなんてないんですよ・・・
それは自分のためになっていくんです。」
そして、壮絶なリハビリを経て661日ぶりに東京ドームのマウンドへ帰ってきた桑田投
手は、右ひじをマウンドの投手板につけてつぶやきました。(←有名なシーンです
「野球の神様、聖地にもどってくることができました。ありがとう」
いい意味で『執着』して、本当の意味でそれを信頼すると、その物事から愛されるのでしょう。
今日は野球の神様から愛された(ている)、2人の偉大な投手のお話でした。
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